テスト勉強をする夜は必ず自分が嫌になる。

しかし、それも仕方ないことだ。もともと自分のことが嫌いなのを、意図的に自覚しないために苦心してる日常から、強引に引き剥がされてしまうからだ。自分のことが嫌いなのは、きっと全ての人が自分のことを嫌っているであろうのに、自分は生きながらえてしまっていると言う予感に支えられている。言うまでもなくそんな予感に苛まれている事自体、非合理的である。老カトーが正しくも言った通り生きる意味は勿論ない。だからこそ、生きていてもよいと言う感覚に包み込まれなくては人間は生きてはいけないのだ。アレントにおける権利を請求出来る権利、世界から疎外されていないという事実が如何に人間を支えるか。
ここ最近、思想が発展していない。インプットが限りなく少なくなっているからでもある。僕もここまでの人間だったかと思うと、ますます生きていることが申し訳なくなってしまう。もっと、単純に快楽を追求していたい。でも、実はしているのだ、もう。愛が足りない。こんなことを、無反省につぶやく僕は、本当の社会不適合者みたいな気がしている自分に酔っている。本当の社会不適合者とは誰だ?