君がそこにいるからさ

人間の存在する意味とはどこにあるであろうか
それを考えるためには
意味とは何であるかについて考えなくてはならない
そしてそうした時はじめて
意味と言う言葉の目的性と被所有性に気付くのである
意味とは常に意味を請け負う主体が存在する
全ての具体的事物が全ての具体的事物に対して
関わっているわけではないように
全ての具体的事物はその具体性に則した意味の受け取られ方があるのだ
つまり俺にとってあなたは無意味な存在だが
同時にあなたは誰かにとって有意味な存在であることができる
しかも意味とは思考によって付されるものであって
思考不可事物には他の事物に意味を付することは出来ない
また意味は自ら自身に付することももちろんできる
そして意味を判定する基準も各々に委ねられたものなのだ
そしてまた一つ相対論に堕ちて行く自分
それすらも思考させられていることに数mmだけ気付きながら

恐ろしき失望

やはり自分が一番好きだから
他者に批判されることは苦手である
いつか下らないプライドの喪失と能力を手にしたい
そしてゲーセンに行く道の間に僕は考えた
アクションゲームはつまり意識の行動化の早さの勝負である
ゲーム脳は脳の回路を介さずに反射することらしい
それを世間ではゲーム批判と共にゲーマーを批判する材料にしている
しかしこれはそこまで糾弾されなければならない事態であろうか
自らが社会の推移の中で作り出したバーチャルの空間
そしてそれに対応しゆく若者
それらは単に進化の表象であり
それを許しがたく思うオールドタイプ達の
無駄なあがきではないのだろうか
たしかに人間は理性を行使することで進化してきたように言われる
それを認めたとしたって彼らが全てに反射するわけではなかろう
彼等は彼等の理性の使い方があるのだ
更に言うならば理性の進歩性に懐疑を抱くことすらできるが…
っと、話がずれた
俺が言いたかったのはゲームと言う意識の高速使用は
無意識でゲームをする俺にとって限りなく難しいと言う事だ
無意識で行動に移せるようにすることに
受験などのゲームの攻略が待ち受けている
ゲーム慣れって絶対に存在するよね