2006-11-01から1ヶ月間の記事一覧

原因と結果。もしくは哲学の未来指向性。

哲学はもっとも無為でもっとも生産的な生活ではないか。 過去と自己を見つめる行為のなんと非生産的なことか。 他者の拒絶も真理の探求もそこにとどまれば無駄と終る。 我々は何かを見い出さなくては進めないのではないか。

少年は剣を…

話を変えよう。 そのような前提のもとに、かれらと彼等と彼らに理性的な判断を求める。 しかし、かれらの判断に人民の一部が干渉してしまったら? そう。それがおこってしまったことを考えよう。 その者達は誰に対して責任を持つのだろうか。 また、干渉を受…

与件としてしかあらわれることができない。

かれらが全人民を代表する権力を持っていると言うことは、いかなる他の権力主体の干渉も受けてはならないことを意味する。 かれらへの干渉は人民が権利を行使することでしか有り得ず、それでもなおカレラが代表する諸権利はかれらが代表する諸権利と等価であ…

ところでそれは真理だったか。と言う問いが依然として残されながらも言わねばならぬことがある。

大切にしなければならない尊厳はなにか。それがこの近代社会のテーマに照らされるとき、浮彫りになるのは個々人の権利に他ならないだろう。 我々の生息する社会の前提は権利主体としての人民の存在である。 彼等の主張が妥当性を持つためには人民の権利がそ…

公的な場に書くことの意義。若しくはブログとはどこまで公的になれるのかについて。

公的な場に思考を表明することはそれが公的であると言う点においてそれを意味あるものにしているだろう。 我々はそれでもなお他者を前提化しなくてはならぬのではないだろうか。 ブログは開かれているがそれが公かと言う点で判断を難しくさせるもののように…

心が寂しさを越えてゆくとしたら

随分悲しみが増えてきて、心の触手は徒に伸びようとしながら、我が小さき体に阻まれて、ただ心が蝕まれていくだけ。 僕は僕を押し込めると言う矛盾をいとも簡単にやってのける。 そしてその矛盾を後から悔やむ更なる矛盾がやってくる。 その矛盾の連鎖はただ…

このぐにゃぐにゃした自分

背骨が曲がってるからとかそういう事を言いたいのではないけれど、ただこの移ろいゆく不安定な思考を僕は許せないのだ。 僕にただひとつでも忘れぬ信念さえあれば、僕はいたずらに悲しむことから解き放たれて少しはあなたのリアルに近付けるだろうか そう。…

迫り来る現実に無力さを装う僕。例え無力だとしても誰かが許してくれるわけがないのにね

一人が好きなのに一人では悲しくて 一人にかこつけて一人に甘んじ 一人で戦うときに一人であることを嫌い 一人を嫌いながらも一人に厳しくなれず 一人を甘やかしては一人で涙を流し 何が正しくて何を言えばいいのか そんなことも前に立つ人に主張できずに 分…

またやってしまった。

幾度となく繰り返す悲しげな過ち それが悲しませるのは僕だけであり 全ては僕の中に完結している より大きな悲しみを思い出せず より小さな傷を恐れてしまい すくんだ手を幾度となく責めたてたとて そこにあるは虚空のみ そしてそれは時と共に僕から去り そ…