2006-09-01から1ヶ月間の記事一覧

陳腐な理性の悲しみと自己本位

こんな悲しくなったときになぜ僕は僕を助けられないのだろう。 都合よく忘れて都合よく嘆いて自分を悲劇にしたてあげ自己満足的に自分を傷付ける。 確かに自分を傷付けることは同一性を自覚できていないことから発すると言い訳してもよかろう。 しかしなぜ僕…

I was born to ....

擬似恋愛はいらないけど、女の子しか持ってないものもあるのが現実。俺が女の子になることは間違ったベクトルに過ぎない。そんな予感がする。女装というベクトルも、その方法を研究する必要をもつ。 例え現代医学が超現実的な地平を示唆したとしても、僕はそ…

私と言う客観性と当事者回避

他者の客観視の妥当性の高さと安易さは、そのまま自己の当事者性の喪失と表裏一体かもしれない。 他者の批判はその延長に自己を据えることとなり、それは主体と客体への自己の分離を招くのかもしれない。 人の思考はますます鋭くなるばかりだが、それは無意…

開き直りは敗北ではないと思おう。

領域を越えて領域批判をしなきゃ永遠に領域に捕われたままくちていくのみ。 だから僕は赴くままに彼等を批判することで、精神の安定でも手にいれよう。 1スレ(1000レス)を1週間足らずで消化する馬鹿共が集まる塾に通っていることだけが、僕の後悔だ。 僕の…

極論大好き

僕は何でも断じたがる。 規定することの安らぎをどうしても求めてしまう。 でも極論は弱い。 例えばその極論を自分で引っくり返せてしまうほどに。 だから我々は考え続けてしまうのだ。 つまり安らぎを得るために。 自然の偶然性を人間理性の一貫性で越えら…

例えば生きると言う事は何かと考えなければならない夜があるかもしれないよね

気持は持ち帰れない。 あなたへの気持は理由なく溢れてくるけれど、それをあなたに届けられない。 もしかしたら伝えることってのは直情ではないのかもしれない。 あなたに届けるために僕は頑張らなきゃいけないんだね。