陳腐な理性の悲しみと自己本位

こんな悲しくなったときになぜ僕は僕を助けられないのだろう。
都合よく忘れて都合よく嘆いて自分を悲劇にしたてあげ自己満足的に自分を傷付ける。
確かに自分を傷付けることは同一性を自覚できていないことから発すると言い訳してもよかろう。
しかしなぜ僕はこんなにも悲しさを感じている夜に自分を慰める事を思い付けないのか。
他者は僕を傷つけなどしていない。あるのは僕のより悲劇たろうとする指向だ。
僕にだって楽しかったことや嬉しかったこと、僕を信頼したり愛したりしてくれる人がいるのだ。
なぜ僕はそれらを思いだし、彼らを思うことが出来ないのだろう?
いつも慰めは肉体的まやかしを代わりにするだけだ。
できない?そんなことはないのではないか?
僕はできることを怠ってるだけではないか?
僕は安易にあなたに助けを求め過ぎているのではないか?
調子のいいときにだけ現れて僕を迷わせる無意識的理性を僕は飼えるのか?
この理性までも欲望に蝕まれた僕が何を言ったって結局なにも得られないのかな。
そして僕はまた断定を恐れて家路につく。
また気付かぬうちに二人の自分に心を奪われて正しい考え方を忘れる。
この二人は理由を言わない。
だから僕は二人の機嫌しかとれない。
だから僕はもっと強い3人目にならなくてはならない。
もっとまともな3人目にならなくてはならない。この二人をねじふせるのだ。
本当の理性で本当の思考で本当の正義で考えなくてはならないのだ。
僕はまだ生きている。それだけは付け加えさせてほしい。