開き直りは敗北ではないと思おう。

領域を越えて領域批判をしなきゃ永遠に領域に捕われたままくちていくのみ。
だから僕は赴くままに彼等を批判することで、精神の安定でも手にいれよう。
1スレ(1000レス)を1週間足らずで消化する馬鹿共が集まる塾に通っていることだけが、僕の後悔だ。
僕の運は遂に尽きて、友は塾から離れ、塾にしがみつく僕は侵蝕され、僕の手は空を掴み、汚い感情が沸き上がり、彼らだけが結果を出し、塾に放り出され、それでも僕は自分が正しかったと言えるか?
それは無理だ。
僕の心は他者を区別し、味方と敵を見分け、それにしたがって判断しているのだから、僕は嫌いもすれば好きもする。
しかし僕はそれを見せずに、心の触手は寄生主を探して方々に延び、今の主人を支配できずに、思いを満たせずに、ストレスだけを貯め、悲しみに覆われながら、期待だけが増していき、自分で自分の首をしめる。
しかしそれでも僕は、彼らのように卑しくはないと、控え目にしかし確かに言おう。
彼等は現代を象徴するのなら、僕らは絶望の時代に産まれてきたかもしれないと言うのかもしれない。
彼等のやっていることはなんなのだろう。あの青春群像ごっこは何を目指しているのだろう?
僕はこの汚い自分の感情さえ、自分の今として受け入れよう。僕のささやかな彼等への対抗は所詮その程度であり、それこそが最上であると、今は疑わないでいるのだ。