私と言う客観性と当事者回避

他者の客観視の妥当性の高さと安易さは、そのまま自己の当事者性の喪失と表裏一体かもしれない。
他者の批判はその延長に自己を据えることとなり、それは主体と客体への自己の分離を招くのかもしれない。
人の思考はますます鋭くなるばかりだが、それは無意識だった大事なことを失っていくかもしれないと言うことか。
無論全ての事象が一側面しか持たぬとは言わないが。
少なくともその客観視が恣意的でないなどと言えるつもりはないが。