少年は剣を…

話を変えよう。
そのような前提のもとに、かれらと彼等と彼らに理性的な判断を求める。
しかし、かれらの判断に人民の一部が干渉してしまったら?
そう。それがおこってしまったことを考えよう。
その者達は誰に対して責任を持つのだろうか。
また、干渉を受けてしまったかれらはどうするべきなのか。
まず理論的に考えてみよう。
その者達は基盤を持たず内部でのみ相互の承認を行った団体、つまりは私的存在である。
しかしその者達の行為は今や公的な権力主体に向けられてしまった以上、私的でとどまることはできない。
その者達はかれらへ行為をしてしまったら、それはかれらが公開すべき事であり、かれらが公的性をその者達に付した上で権力の行使をくわえなければならない。
この時諸権力の自立性翻して言えば権力主体の行為の広域性が特徴を産み出すものであることに注意を換気したい。
 
ところで、もしかれらの構成員がしかもそれが彼等が、その干渉により不可逆のかれらが行うはずであった任務にとっての傷害をおってしまったとしたらどうするべきなのか。
まずその傷害の公正な判断者は誰なのだろうか。
例えばそれが外傷であれば、しかも医学的に説明が可能なものであるとしたら、かれらの職務遂行不可能を人民はもしくは人民を別の形で代表する機関が承認すればよいのではないだろうか。
それは説明や理解がしにくい場合が応々にしてあるのが議論の点であるが、現在に限定して考えれば理論上そのような主体はいない。
今それを代行しているのは人民を越えた絶対者として存在している者達である。
本来超人達は出現できるのは人民の敵として、もしくは人民の創造主または人民の生息する機構からの人民の防壁であるときだけである。
だとすれば理論に乗っとればこれも別の形で代表する機関の承認が必要であり、その機関はその様な任務のために恒常的に存在する等価値なる権力主体であらねばならぬ。
というのは、代表することによる迅速性と、直接的に諸権利から権力を与えられているという等価値性を持ってなくてはならないからである。
そしてその機関はかれらの続行不可能を判断した場合、その者達への処置を決定した後に、経営を最前の方法で軌道に戻す方法をきめる。
僕はこのような緊急に対処することと、経営の前提を討議し続ける機関の必要性を主張するものである。
しかしその機関は老練かつ知恵を持つ者たちで構成されねばならず、その権力は全ての権力を越えていながら権力は厳重に制限されてなければならない。
つまり行使できる権力は状況に則しているべきであるのである。
この法制度の最大の困難は構成員の選出法とその権力が発動できる時期である。
ある程度その通常国会は開放されていても悪くないはずだが…
 
以上は後代に起こった場合の同様の事件に関する僕の見解である。
僕はまだこの潜在的公共性に納得していないのだが。