心地よい11時

なせ僕は>>挨拶
いつもどおりなにのしんです
なぜかの言語の使い手たちは大局的な視点を持ち得るのか
それは言うまでもなく彼等の道具にネットワークが備わっているからではあるまいか
それは決して揚げ足の取り合いではない考えの連関を生んだ
皆の書く文字が画一化されていてもなお
むしろ画一化されているがゆえに
更に彼等は論理性を高めることが出来たのではないだろうか
しかし無論我々は機械言語の中に生きているわけではないから
それを日常言語の使用機会へ変換しなければならない
と思うのは俺の買いかぶりなのか
美しき人造言語が人を救うのだろうか
少なくとも決してトレーニングとして馬鹿にしているわけではない
まごうことなき希望の欠片を見付けられたようなきがしたのさ
手紙〜来たるべき音楽として〜