NO FEET NO LIFE

完全に違うのにそれがなにか分からない。
掛け違えたボタンに気付けずに生きざるをえない今。
例えばその見えざるボタンに堕落を正当化させる卑怯な精神性。
気付かぬままに母親をなぞる定めとなりし息子。
ロマンを糧に生きるのか。欲望に身をまかせて生かされるのか。
今こそ「生き方なんていくらでも変えられる」と言う言葉の意味を思い出さねばならない。
また僕は正しい道を見捨てて安易な道をすがろうとして、またその間違いに気付“かされ”た。
成長しないなら成長指向がないことの表れだろう。
自分に確信を持つことは、自分一人になったとき役立とう。人は一人にならねばならないときがある。
ああもう閉塞した思考をこねくりまわすことはやめよう。
今を変えられるのは今の自分の意志だけだ。
悲しみを退けるためだけに考えよう。悲しみが訪れないために今は動かなければならない。
どうか今を生きた証が僕に与えられんことを。