暴走しないための現状理解

id:hokuainさんに諌められた通り、もうちょっと冷静に考えていこう。
小島先生がおっしゃった通り、何故好きなのか分かったらそれは愛ではないかもしれないし、しかし恋がなければ愛は生まれないかもしれないのだ。つまり、人間関係はいまだ複雑怪奇なのである。
だからこそ、理解しようとする試論は常に展開していなければならない。そして、我々は人間である以上、自己の感情ともうまく付き合っていかなくてはならない。
 
さて、現状はどうであろうか?
・見た目だけで惚れるのは、即物的過ぎるという点で誤りである。
・見た目はすごい好き。
・もう一つは内面の相性である。(この時点で相性という言葉は曖昧である。問題とした方が好ましいが、それはそれで曖昧である。)
・他者を理解することはできないかもしれない。それは外見的にも内面的にもである。人間という存在は数限りない要素の集合体であり、人間はまだ全てを見つけてはいない。(だから、外面・内面という分類も一時的であり恣意的である。それが全体を二つに分割しているかすら不鮮明であり、研究しなくてはならないものである。)
・他者を理解しようという志向性は不可避であるはずである。それは自己という他者をも含む。
この点に不可解な点が現れる。
・理解を目指す相手は平等なのだろうか? つまり僕はある人を理解し、ある人を不明なまま置いておこうとする判断は恣意から抜け出せるのだろうか?
しかしこの問いは更なる問いを誘発する。
・人間は恣意から抜け出し得るか? 人生は正解をもち得るのだろうか?
 
問題は明らかになった。
僕はまず、少なくとも実践的なフェイズにおいては広げるべきだと、師匠達に言われて来た。
つまり答えは理論においてのみ出ていないのだ。答えは風に吹かれている。後は僕が見つけるだけだ。