ゆっくりしていってね!

本当にこの場に来るのは久しぶりだ。
こんなに、単発的に自己表現(?)を行える場が出来てみると、例えば、とぅうぃったーとかがそれであるが、もしかして、東浩紀の言う通り、どんどん短気になっていってしまい、長い文章に自分というものをまとめられなくなってしまうのではないか、という不安感が、はてなダイアリを思い出すたびごとに、僕を襲う。
確かに、僕は自宅のパソコンの使用する権利をほぼ放棄してしまっており、今やケータイが基本的なインターネット世界とのコンタクトをとる手段だとすれば、mixi等に吸い取られてしまうのも無理のない話と感じてもらえるのは、どのくらいありえる話なのだろうか?
漠然とした印象として、年1本論文を書き、月一ではてなダイアリを書き、日に一回mixiの日記を書き、一時間に一回とぅうぃったーに呟くという類のバランスのよさを少なからず羨ましく感じてしまうというのは、やはり今の自分がバランスを欠いた状態にあるからなのだろうか。
僕が人に自分の話をするのが凄く虚しく感じるときがあるのは、その形に残らないという会話の性質故であろう。勿論、会話には相互性という一人では届きえないよさがあるのも事実である。その中で僕は、思い付いたことや、言われて嬉しかったことをすぐに忘れてしまうということに、少なからず恐れを抱くことがあるのだ。ホームズが高らかに「さあ、今すぐ忘れてしまおう!」と宣言したにも関わらずだ。そう、僕は面白いと思ったものを少し面倒がられるくらいに繰り返して始めて、自分のバランスの中に組込めるのだ。
恐らく、同じようなことを書いている気がする。そう、僕は結局、同じところを堂々巡りしてしかいないのだ。でも、確かに、仮にももう幼児ではない僕がそう簡単に何かを受け入れて変容してしまうことは、あまりないことと思ったほうがいいのだろう。
僕は久々に初期衝動を尊重しようと考えているところだ。僕が高1の夏、深夜のテレビ番組で出会ったサンボマスターへの感謝に、もう一度火を付けようかと思うのだ。本当に、僕の人生には感謝しなければならないことばかりだからだ。一度だけ、改めて、深々とお辞儀がしたいのだ。それですら、とても恥ずかしいから、友達の手を借りて、物凄くセンチメンタルになってる自分に、アルコールを流し込みながら、ただ意志をあらわそうとしているだけで、手が震えてしまうくらい僕にとって新しいことなのだけれど、寂しくなんてないわけがないじゃないか。でも、僕は予感があるんだ、いつかしなければいけなかったことを、やっと今になってするだけだってね。だから、少しだけ…