コミュニケーション的メディアとしての時代

コミュニケーション的メディアがとたんに必要になった時代が本当に来たのだろうか?

真に哲学的探求を突き詰めた著作はコミュニケーション的なのではなかったか。人の思想、人の思考に寄り添いながら自らの思想をささやくような、そんな著作が最も素晴らしいものであるはずだし、だからこそ読み告がれているのではないのだろうか。
だとしたら、コミュニケーション的であることが途絶えたことは一度もないと考えるべきである。最も先鋭的な思想は最も優しいのではあるまいか。そんな予想に取り付かれてやまない夜。