意識と無意識の戦い

しかし勿論自らが束縛されている人間であることを自覚したとしても
いかに解放されるべきか
言うまでもなく何から解放されるべきか
そして重要な点ではあるが解放されるべきか否か
について決着がつけられなくてはならない
自由の概念は一見簡単なようで遥かに深い
少くとも今の俺は自由とは解放と共にやってくると思っている
それは自己存在が解放されるべき対象を正確に把握した上で訪れる精神の自由だ
いかに精神といえども前述した通り限りなく束縛されている
それはある意味では規定されているとも言い換えられるかも知れない
それほどまでに曖昧な態度を見せる精神と言うものは
既に肉体を支配下においていると言っても過言ではないかもしれない
自らの精神を自ずから不当な束縛から解放し妥当な規定の元へ寄せる
それこそが真の精神の自由ではないのだろうか
しかしそこには判断力と言う能力の精神との関係が問われる
つまり判断とは精神(理性)において下されるものである
精神(理性)はそれ自体を客観化して作用することが出来るのだろうか
それについては「コギト」によって解決されていると思う
つまり全事象の客観化は精神(理性)の能力を過大評価しているわけではないのだ
さぁ限りなき精神の自由へ