生を思え

なにも死だけが生を考える契機ではない
全世界と言う言葉をどのように受けとめるかは個人次第かもしれないが
彼が生きていた世界と彼のいなくなった世界と彼の死に絶えた世界との違いは
言葉には尽しがたく
その点において世界が彼なしで存在していなかった事を知り
世界はそこにあるだけでなく我々が形作っていたものだと気付く
君が存在の闇に捕えられて世界は君なしでも動いてゆくと言うのなら
君がいた世界と君のいない世界にどれ程の違いがあるかを考えてみればよい
君が例えいずれ世界から消えるのだと分かる賢さを持ちあわせているのなら
君の世界からの身の引きかたに違いがあることも分かるはずだ
失ってから気付くのでは遅すぎるとしても
気付かないよりはましだし
もっと言えば
彼が我々の深層意識にひっそりと生きていることと
表称されうる領域に確かに生きていることも違うのだ
俺のような人間は死に直面してなお、考えは収束しない
例えば我々はなぜ産まれたのかと言う命題がある
我々は果たしてこの命題に答えることはできるだろうか
それはほぼ死んでしまったはずの神を生き返らせようとする試みに等しいと思われる
しかし我々が生きていると言うことは最早個々に帰結する事象ではない
彼の生は俺に依存しながら俺を存在させている
世界が誰一人として失うことがないからこそ世界として存在していることは前述の通りだ
これは君へ僕はつらいことを強いているのかもしれない
しかし君が世界に生きている限りにおいて君は世界へ限りなく働き掛けられることをしっているだろうか
君の行動は彼を怒らせ彼女を心配させるかもしれない
しかし君が存在を途絶えることよりも遥かに希望を君に見せてくれるのではないだろうか
君の希望は君の世間のなかには永遠にないかもしれない
しかし君の希望はこの世界にみつけられないと断定できるだろうか
君にとって世界が失われることは
君にとって永遠に希望が失われることであり
世界にとって君が失われることは
世界にとって君と言う希望を失ったことだ
ここで希望は可能性に置き換えられてもかまわない
少なくとも僕は君と言う可能性を君の手によって失うことだけはしたくないとだけ
世界に君と言う可能性がなくなってしまう前に言えたらと僕は思っている
ではまた会う日まで