アジカンの上で

中毒のようにアジカンばかり聞いている僕です
サンボともBUMPとも、勿論東京事変とも違う彼等について
やっと思い付いたのです
彼らは思春期の「遊び」部分なのです
サンボは「愛と性欲」だし
BUMPは「綺麗な悩み」に対応していた
BUMPのボーナストラックが「性を持て余してちゃかす“遊び”」だとしたら
サンボは「ほとばしる“性欲”とおさえきれぬ“愛”」
東京事変は「限りない“愛”を恥ずかしげに隠す“言葉遊び”」
アジカンは「かっこよさを求めた意味の深そうな“言葉遊び”」なのでしょう
(本当に意味があるかどうかは僕らには分からないし、個々の判断に任せられるのなら僕は遊びこそ意味だと思うのですが)
そこに東京事変アジカンに共通するいつまでもリピートしていられる耳障りのよさを見い出すのです
この時彼らは少なくとも耳あたりのよい音楽と言葉を選べてるのです
彼等の楽曲は巧妙に我々の耳に入ることに成功している
この点でBUMPとサンボは一方が清らかすぎ一方が脂っこすぎることで一線を画すのです
彼等の楽曲は権利でもって時と場所を、シチュエーションを選ぶ
無論アジカンのスタンスは思春期の全ての要素を内包しているし
全ての僕が認めるロックンローラーは思春期の体現でしかない
そしてこれらは強調点の違いにすぎない
全ての要素を取り入れたロックンロールがないからこそ
我々は自分の好みを見分けなければならない
音楽の真理もやがては見付出されるかもしれないが、それはそれでいいじゃないですか!