Ⅰ部の乱とはなんであったかに関する小考察

こんな下らないタイトルをつける馬鹿はわれながら今世紀には俺くらいしかいないでしょうね。
我が校の自治における正史である自治白書にはその様に書かれるであろう。
僕は決して正史擁護者ではないことはもちろん述べておく価値があるだろう。
 
ちなみに以下においても固有名詞は使っていないつもりですので、もしその点などに関して誤解を招く表現、事実に関する誤認などがあったら指摘ください。
また、僕は選管の一構成員ではありますが、客観的な視点から書かせていただきました。事実関係の中に含まれる推論に関しては個人的見解でございます。お気をつけてお読みください。
 
さて、まぁくだらない前口上はおいといて、まず、僕が認識した今回の事実関係についてまとめておきます。
選管規約48条にあるのは全校投票について記述である。
「①全有権者の10分の1以上の連署又は他の自治機関の依頼により議事運営局に全校投票の実施を要請できる。議事運営局は要請から6日以内に本会議を開き、全校投票を実施すべきか否かを審議しなくてはならない。
②全校の連署の効力は、議事運営局がこれを決定する。有効署名数が3分の1以上を上回っている場合に認可、10分の1未満の場合に却下、それ以外は本会議の決定に従う。
③但し、本規約の改正は除く」(なお、はてな引用タグを使ってないことをお許しいただきたい。)
そして、選管の我々に対する説明によれば彼らは『十分な連署の効力に関する審査を行うことなく本会議にかけてしまった』という失態を起こしてしまった。
そのことによって、近年の自治に対するというよりも面白いことに関する指向が働いたことで、本会議はその連署に関して賛成の議決を採択してしまった。
ここで連署の内容について確認しておこう。
その『十分な審査が議事運営局によってなされなかった』連署には以下のような内容が記載してあったとのことである。
『署名団体は、先の運実委員長・会計局長選挙に関して、適切でない結果になったため、選挙結果が不当なものであるし、署名によって再選挙の実施を要求する』(僕による要約。適切でない結果の結果とは、信任だけでなくさまざまなデータ)
そしてその連署には全校生徒1800名中220名もの氏名が記載されてあった(全ての署名が適切に集められたものであるとする)。
署名の収集方法に関する指摘が説明会でもなされていたが、それは水掛け論であるものと考えられるため、また選管による公式見解が発表されていないように記憶しているので括弧内のように仮定した。
しかし、思い出されたいのは、48条が全校投票による記述であることである。
また、選管によれば規約には再選挙に関して別の記述がありそこには『再選挙には全校の3分の1の署名が必要』であるらしい。
つまり本来ならばあの連署は議事運営局の審査段階で却下されるべきであり、本会議自体が不当なものであったらしい。
だが、本会議で可決されたことによって事態は混迷を深めていった。
その議決の次の日、再選挙の内容に関する本会議が昼休み開かれ、そこにはI部先生がいらっしゃっていた。
そして放課後の本会議(僕個人は欠席なので純粋に選管見解による考察)で、おそらく生徒委員会の先生と多少の会話をしたであろうI部先生が傍聴人として議長の許可を得た上で『このような本会議決定は議論の尽くされてなく、選挙管理委員全体に認識が浸透していない用に思えるため』『そのような本会議決定に関しては、教師側としては協力しかねる』との発言をしたとのこと。
そのことに関して、本会議の進行役である議長団はその意見を受け入れ、傍聴人に退出してもらった上で、前日の議決に関する再審議がなされ、連署の内容に関する議決は反対となったとのことである。
なお、前日の本会議には署名団体は招かれていたが、当日の放課後の本会議には呼ばれていなかったことを補足しておく。
ちなみに、この発言の後の動きに関しては、僕個人としては僕の事実関係の認識と多少相容れないところがあるように思う。連署の矛盾が選管の後の調査によって見つかったものだとすれば、納得はいくが、そのような説明は選管からはなかったように思う。
また、I部先生の発言は本会議決定に言及するものであり、どう考えても不当なものである。「議論が尽くされればこのようになる」という断定は限りなく危険なように思う。その点において僕の事実誤認のような気もする。
また運実の意見表明なども本会議中なされたが、選管による事実の説明において大きく取り上げられなかったため、割愛させていただいた。僕としても大意に影響はないように思う。
 
次に、僕の雑感を述べておく。
いくつかの事実認識に奇妙な点があるのを、無視していうならば、多分これはわが校の自治の倦怠期におきがちな事件だったと思う。
少なくとも、議事運営局が十分な連署の審査を行わなかったのはルーチンワーク外の仕事に慣れていない、また想定しきれていないことからおきるものである。
署名団体が指摘する事項も、無効票が多かったというように、典型的な倦怠期現象である。棄権がなかったからといって、棄権を作るべきだという意見は表明されたとしても、無効票はあってはならない。
詳しく書きたい点がいくつかあるがそれらは、これからのエントリに譲りたいと思う。
卒業に当たって自治を総括しなければならないと僕は思うので、何回かにわたって投稿することを構想しているのです。
相変わらずの尻切れトンボですがではまた。
 
 
僕らは神の見えざる手が可視になった瞬間に失望する。
おままごとがおままごとであることが暴かれたからといって子供たちは怒らない。
彼らは無意識のうちに虚構であることに気づき、僕らは無意識のうちに虚構であることを忘れたのだ。