我が校の自治とはなんであったか(1)「特殊中等教育の特殊性」

もうご存じの方もいるかもしれないが、我が校は私立の中高一貫校である。
そして極めて特殊なことに、ある意味で異常な過程をへて、その自治は獲得された。
(その異常な過程についてはまとめるエントリが必要かもしれない。)
そして、その自治は奪われることを免れ続けてきた。
私はまずこの異常な過程と言う事実に問題を見い出す。
今やその異常性を正しく理解するものはなく、その経緯は自治を神格化する手段へとなり下がっている。
しかし、私は思うのだが、我々の自治とは単なるママゴトではなかったか。
我々は例え生徒活動の行政を任されているとしても、それは我々の独立行政権を認められたものでないように思う。
我が校において、ひいては全ての学校自治は、学校から自由たりえない。
まず第一に、我々は中等教育の過程にいる以上、社会的には責任を認められておらず、学校諸行事が僕らのものであると共に、先生達のものであることを忘れてはならない。
そのことを踏まえると、我々は決定権を持ちながら他者を考慮にいれなければならないと言う、不可解な状況にあるのだとなる。
しかも彼らは我々よりも尊重されなくてはならない。
つまり我々は不可侵権を持つことが出来ない。
また第二に、と言うよりそれらの原因はと言った方が正確かもしれないが、もう一つの自治の源とも言うべき要素が我々の手中に完全にはないのだ。
西欧中世の荘園が得ていた不輸不入の権はなぜそれだけで荘園の独立性を保証していたか。
それは荘園がその農業生産ゆえに自給自足可能だったからだ。
つまり我々は、財源を自己組織の内部に持ちあわせていない。
例えば政府の紐つき財源が地方に配分されても、地方自治体はそれを自由に使えないのだ、と言えばよいのだろうか。
以上の2点から我々の自治はママゴトであったと言うことができる。
思い出してみれば、このような虚構を権威づけていた異常な過程は、長い年月を経て、我々を欺くにいたったのであったことが分かる。
今回の件に則して言えば、麻布の自治が、真の自治であると思い込まされていたのだ。
しかも、皮肉なことに、我々の先人がたどった軌跡のゆえに。
 
 
 
今や絶望的な解答が提出された。我々の自由は本当に存在しなかったのであろうか。それは次回に譲ることにしよう。「学校の自由とはなにか。生徒の自由とはなにか。」