霜月はるかとRevo若しくはSOUNDHORIZEN

①堕落の可能性
既に一部で指摘されていることではあるが
Revoは商業主義に堕落してしまったのではないだろうか
今回の楽曲は一見Revo性を失っていないような第一印象をうけるが
恐らくかつての彼なら「行動」とか「最低」などと言う陳腐な用語は選ばなかっただろうし
聞けば聞くほど色褪せるそれらは
とあるSoundHorizenに及ぶべくもない

 
②過去の神聖化と言う遊び
これらの諸考察は
ある意味でこれはSOUNDHORIZENを神格化するためのものなのではないかと疑ってしまうのは私だけではないだろう
しかしそのようなものはRevoの特殊性ゆえ有り得るように思えるが…
 
③新たなステージへの踏み台
しかし、我々はここで一度止まってみなくてはならない
はたしてRevoはそのようにつまらないおっさんだったのか

もしくは音楽活動を遊びと見なしていたか
少なくとも彼はロックンローラーではないとはいえ
無為な民衆を騙すのではなく、積極的な信者である聴衆を先導していたのであり
そのある種のうさんくささを支えるのは意図的な狂信であった
そこには常に現在の彼の信奉を作り出してきたのではないか
さてここでシングルタイトルを思い出されたい
「霧の向こうに繋がる世界」
しかしこれは次のように読めるのではあるまいか
「霧の向こうに繋が“りえ”る世界」
つまりここに次なる領域の存在が示唆されるのだ!
 
 
え? どうかんがえてもでっちあげだって?
“そんなことはどうだってよいのです。さしたる問題ではありません。”
なぜなら教祖は狂信によってのみ生きながらえるのだから
もしくは信者は信じることだけがアイデンティティなのだから