俺がキャプ画と題材借用を嫌うわけ

写真は写真をとるための道具である
写真は動きの中の一瞬を切り抜くためのものではなく
まさにこれしかないと言う作り出された一瞬を残すためのものだ
だから遠足のいつの間にか撮られてた写真が嫌いだし
動画のキャプチャーが嫌いなのだ
何かをしている時は記憶に残されるべきであって、動画ですらない
動画に残されるべきは動画のための時空間だけだ
領分の不可侵性は放送業界にも転用できる
漫画とアニメはまだ相互依存なのかもしれない
ライトノベルだってあっちの業界は癒着に必死だし
それに満たされる人がいる以上しかたないのだ
漫画の実写化も非常に考え深いが認めるとしよう
しかし文章を映像化することだけは僕は許さない
確に愚にもつかぬ作品が増えた世の中なのかもしれない
しかしそれは何の言い訳にもならない
ただ映像業界は怠けているに過ぎない
大衆は快楽を求めるのは俺だって分かる
しかし君達がクリエイティビティを放棄してどうすると言うのだ
大衆を創造するのは勝手だが貴様らまで快楽主義に堕ちるとは何事
こんな世の中でなにを楽しめばよいのだ
癒着であろうと心と体の乾きに直球な業界しか残されていないのだろうか