我が校の自治とは何であったか〜異論〜「古き良き主体性」(拙い言葉で書きなぐる)

我々は力を持ちえる
そのことを証明したのが自治の獲得ではなかったか
我々は教師の圧政にのみ反乱を起こすわけではない
間違った状況全てに反旗を翻さねばならなかったのではないか
かつて圧倒的な迫力によって、単にそれだけで自治は獲得された
自分達が正しいと信じ政治的活動を行った生徒達がいた
しかし今や自治機関は我々生徒の権利の敵となった
いつの日か自治機関は懐柔され体制となってしまった
今や我々が戦わなければならない相手は変容しより強固である
しかしそれらに批判を加えねばならぬ我々は余りにも弱くなった
それは逃げることの出来ない現在性に他ならない
我々は主体性をそれと気付かぬうちに取りあげられ
掌で踊る自覚なくむしろ踊らされている
ぼくらは自分達であることに疑いを抱いては空回りを続ける
回りを見ても無主体性から来る慢性的症状のやつらばかりだ
不良は単なる不良に堕落し
俺達は自分のしたいことにすら気付けない
悪いのは誰だ。
ルールに当てはめれば模範的な人間が出来るなんて嘘だ
ぼくらがそれを証明してしまった
脆弱なルールは無視され得る
選びとられたルールだけが強固たりえる
その意味でだけ自治は行える
今の我々に残された道は虚しくとも考えるだけだ
余りにも虚しくて押し潰されないために