不信の時

また、同じ後悔をした。
繰り返しては後悔し、忘れた頃に僕は試され、再び後悔して、僕は何に悲しんでいるのか。
過ちは取り戻せず、重なった偶然と僕の弱さは、僕を翻弄する。
17才の夜僕は僕に痛めつけられる。
けど僕は僕を痛めつけられないから、僕は反省もできず、僕は僕から逃げて、僕は僕に埋没する。
僕は言い訳をする。
自分の生き方が自分で決められぬ。
僕は母親に操られ、その家で自室を悲しみで埋めつくす。
そして傷を人にみてもらいたくて、そうして間違った自分を対象化して、笑いとばして否定して、そうやって安易な方にばかり生きて、本当の間違った自分を守り続けて、変われずに、変わらずに、誉められたときだけ自分の手柄にして、寂しさを肯定して、他者に依存して、他者にいたずらに期待して、真っ直ぐに生きられず、もがくけど的外れ、生きるのは容易いけれど、生きることこそが難しい。
どこで歪み、何をすれば解り、いつ僕は放たれるのか。
僕の表現が僕を助けられないほどに、トラウマで倒錯的だ。
時は過ぎる。
僕は求められている。
僕は僕を生きる。
その意志だけをたよりに…
もう誰も悲しみたくなんか……