勉強という軟弱。関係という強靭

幼少期の遊びが精神的体力を鍛えるとしたら僕の心は家庭と自己に収束を迫られていた以上脆弱でしか有り得ない。
しかし今や僕は後天的な条件にすら左右されたくない。
ただみずからの手で正しき道を探し出すことを始めなくてはならないのですよ。
それはけして理性主義に陥ってはならない。