ほうこーく

報告というより、自分の考えを言語化する、つまりオナニーの様相を久々に呈してきましたね。
最近やっとわかったけど、文章を公にすることは会話だから、推敲が必要だ。
つまり、徒然草は面白くとも理論的、客観的ではないのではないか。しかし、徒然草は文学の立場というまた違った領域を現出させているのではないかとは思うが。
 
・酒を飲むと饒舌になる。普段の引っ込み思案が弱まり、他者の承認を求める醜い自分が前面に出る。ただ、突然女の子に抱き着くような奇行に走ることはまだないが、容易に予想がつくので気をつけねば。
・人の話を聞く根気がない。これは本を読むのが苦手なのに似ている。見識もないのにすぐしゃべりたがり、他者のドクサを精査するのが嫌いすぎる、発展性がない性格。
・好きな人が出来すぎる。これは、いかに僕が女性からの承認を渇望してるかの証明であるに過ぎない。もし、時期を逃すことになっても、しばらく友達付き合いを続けていくことが不可欠と思われる。好機を見失わないことは、むろん重要なのだが。
・サークルはいる人で決めるべきか、やることで決めるべきか。どちらかといえば、その微妙なバランスがあるとしたら、それが正しいのだと思う。
・小島先生も言っていたとおり、気持ちは排除しがちでありながら、無視してはならないものだと思う。人間は理性だけでは出来てはいないのだ。
・他者の承認は笑顔ではない。そんな表層には表れにくいものであるから、渇望するのだとはいえ、目先ばかりに気を囚われてばかりいてはならない。表象は重要なファクターである。しかし物事には、こと人間には、表象以外のフェイズがあると思う。それは、表象と同様の度合いで、見かけ上の方法は違えども、求められ、扱われなければならない。
・最近は意図的に自分を変える行動を増やしているが、一方で本当に心から、いつか自分を省みないで生きられてしまう生き方を身につけてしまう日が来ることが怖い。これは商業ベースに乗りながら、商業主義的思想を恐れるサンボマスターに似ているかもしれない。問題意識よ、僕から去らないでくれ。
・後から振り返ったときに、自分の話をしてしまってる自分が怖い。いつか自分が世界内存在であることを忘れてしまうのではと恐れる。どうかあなたよ、僕を許しておくれ。僕は、あなたを悲しませてしまったとき、一生懸命あなたに謝ろう。それが僕の生き方であると虚勢を張らせてくれ。
 
僕はまだ生きていくから、僕はまだ活動をやめてはならないだろう。
生きることをやめながら生き続けてはならない。生きながら生きなければならない。
僕はまだ、途中にいる。それを忘れず生きていきたい。