そこにある技術と、かつてなき生活と、今ここにある僕のなのに。

僕は君に届いているか?
また、僕は、友人に、思い出させられて、生き方を見直せた。
 
寝る前に2回も注意を喚起されてやっと、僕とていやがおうでも、その問題意識は自己の中に固着する。
僕らの生活は、確かに、過去から見れば、様々なものに変容させられている。
それは望んだ変容でもあるが、予想外の変調をきたすこともある。
我々は常に過去を認識し、現状理解の一助とした上で、未来への思考をするべきだろう。
ロックの魂が電気を用いなければならないことは、電気以前の時代にロックがなかったことを証明するのだろうか。
ケータイに支払っているお金はかつて使いあぐねていたとでも言ってしまってよいのだろうか。
僕らは目の前の他者よりも、膨大なる過去の僕らとの葛藤の中で理想を見出だしてゆくべきだろう。
そのための知識であり、そのための思考であるに違いない。
僕は今、正しさを選択しているだろうかという問いは、限りなく大きい過去の知識を前提として問われなくてはならないのである。
僕には、今、知識が足りないと、明確に、意識できた。