反省の色無し

再履が見えてきました。
物凄く悔しいです。
単に、再履が来るなら、ある意味では、悔しくないはずなのです。
何故僕がこんなに悔しいかっていったら、有言不実行をしてしまい、徹夜の一つも二つもできなかったが故、レポートを提出できず、出席が出来なかったからなのです。
こうやって、過去を責めるのは正しくないと信じています。
だけど、過去を、胃が痛くなるくらい分析しなけりゃ、僕にこの憤りは刻み込まれえないから、今は僕は僕を追究してみたい。
刻み込まなければ、僕はまた同じ過ちを犯して、生きる価値を自らで削り取り始めてしまう。
あれだけ、某高校教師に、「大学生は、朝早い授業に出なけりゃいけなかったら徹夜すんだぜ」って言われてたのに、僕は帰宅して、自分を過信して寝た。
あれだけ、普段から、「健康を気にしだしたら、人生が腐りはじめる」と言って他者を批判しているのに、自分は自分の限界を越えられない。
あれだけ、あの時、「レポートやらなきゃ」って言い続けたのに、それを実行する気力を振り絞れない。
あれだけ、某塾講師に、「生き方なんていくらでも変えられる」って言われたのに、いまだに醜い自分にしがみついている。
何故ここまで僕は、他者を、そして自分を裏切り、そしてその裏切った自分を後悔しているんだ。
僕は、世間体を取り繕いすぎる。
母親が、世間体を、つまり表象を気にしすぎるからだ。
母親に、怒られないように、巧妙なサボり方を研究していた小学生から僕は1mmも成長していない。
そんな事自分のためにならないのに、未だに表面だけを取り繕い、時々刻々と僕は僕を追い詰める。
僕は、後悔しすぎる。
母親が、過去を責めすぎるからだ。
僕は、現在と未来の間しか生きていないのに、彼女は過去を責めるばかりで、僕がどうそれを乗り越えて生きていくかを教えてくれなかった。
過ちは、更新だけがされるべきであり、悲しみは、未来の喜びの礎にしなければならないのである。
愛しきあなたよ、どうか僕を叱ってくれ。
僕には、僕を叱ることも、僕に新たに正しいことを教えるのもできない。
ソクラテスよ。
僕はまだ生きていていいだろうか。
どう生きればいいんだ。
僕はそれでもなお、僕の本質を引き受けなければならないのか。
僕はそれでもなお、哲学者であることは出来ないのか。
答えはないかもしれない。
でも、答えへの試論は限りなくあるから、僕は彼等に教えてもらおう。
僕の教師は、もう暫くは現実には現れないだろうし、僕も、こんな醜い僕は、あなたに迷惑をかけてはならないと思うから。
僕は、僕を、せめて生きていてゆくために、変える努力をまだ、しよう。
僕は、まだ生きていたいし、出来ればより良く生きていたいから。