バスタブゼリー

昨日考えていたことはとうの昔に(一昨日までは忘れることすら出来なかったに違いないが)忘れてしまったけど
最初に泳いでみようとした人間は
きっと綺麗な海を泳いでいる魚をみて
負けず嫌いを起こしたに違いないと言うなんともメルヘンチックな考えを
シュノーケリングしていた時に思ったことはやっと思い出した
そういえばなにも考えず自習をこなす俺の姿は本来的な気がしていた
行動に意味とか訳とか理由とかを見付けようとしたから歯車が回りにくくなっていたに違いないだろう
俺と言う人間が昔から多少なり評価されていたのは
そういう意味で他人より少し優れていたからに違いない
もっと無駄な概念を捨てて自らを洗練することで
なにかを見い出せるのではないか
少なくとも今こうして無意味な思考の残りカスを書き列ねることよりは社会的意義に漬かれるだろう
もっとも逸れになにがあるかは見い出してみないことには想像力が足りなすぎる
思考は巡らしている瞬間が楽しい
その次の瞬間には別のなにかを考え出すか
考えをやめてしまって忘れだすだけかだ
もっと社会に身を委ねる自己挿入法と
もっと思考に集中する自己挿入法とを解明しなければならなそうだ
きっといずれも見付かる間もなく灰になってしまいそうだが