悲しさは白い壁の小さな染みのように

セーターに毛玉がつきすぎるように
俺らはいつの間にかコミュニケーションしている
俺らはなにをしようとしているのか
人生が壮大なる暇潰しに過ぎないとするならば
たしかにそこには何も見い出せないだろう
しかしだからこそ存在すると言うことも勿論言えるだろう
なんだか全てがそんな矛盾の一つであるような気がして
やっぱり疑問を見付けた直後に
疑問自体を客観視して嘲笑った上で
もう一度それに没頭するという矛盾の様な自己倒錯こそが
人生そのものなのかもしれない
人生なんて意味などないのだから