善良な市民の反意語

君がいかなる意味として受け取ったかを僕は知らない
しかし君は句読点の打ち方を二つ見い出しただろうか(気付いたなら厳密には句読点の問題ではないことも気付いたろう)
君と君の友達が全て片方しか見付けられなくても
君は全ての友人と友情が長続きするとは限らないし
無論君と君の友達が次々と新しい学説を発表するからと言って
君はなにも誰とももう話せないわけではない
むしろ現実には逆のがおこりやすいことを僕は予感すらしている
ところで善悪を知らぬ市民の善的な行為と
善良な市民の善的な行為と
悪い市民の善的な行為とに
差が有り得るだろうか
勿論あり得ないのは
前提が狂ってるからにすぎない
人々は他者の中に存在し
内なる世界にすらもう一人の自分が存在する以上
他者に判断されない行為などありえず
その人の本性を判断する他者は存在しないのだから
なんかどうでもいいことを書いた