今回のわが校の事件を受けて

とりあえず一在校生として、なにやら思ったことを少しだけ書き留めておきます。
「とりあえず」と書くとテキトーみたいだけどそのような意図はありません。

運実親睦会での飲酒

今回の事件について思うことは、いくつかありますが、もう麻布も終わりだなぁと完璧に思いました。
一部ではかつて僕が画策していた大政奉還が達成されたと揶揄している人もいるようですが、まさにそうとしか言いようのない結果となってしまったのは言うまでもありません。どうやら近い将来に実現せざるを得なかったのではないか。
何よりも麻布の自治を理解したうえで、麻布生を黙認し続けてきた氷上校長をして、「飲酒は違法であり・・・」などといわせてしまってはもはや我々に寄る辺はないのではないでしょうか。意見を異にする新しい教員が増えている中で我々を守ってくれるのは、年配の先生方のご理解あっての自治だったといわざるを得ない状況は、彼らの意見を引き継ぐものたちがいないことと、彼らがもうそろそろやめなければならないことによって崩壊することをも意味しているといわざるを得ない。
なお、今日僕らのクラスで担任の先生が「伝統と称してやめることがなかった君たちにも責任がある」とおっしゃっていたが、僕としてはその発言には以上の理由から反対せざるを得ない。
しかし僕は、そのような発言が的を射ていないとはいわないどころかその意見に納得するものである。
いわば校長陣営の価値観は古きよき社会でしか通用しないステレオタイプの価値観に過ぎず、麻布という守られた学校としての空間内にすら、社会との関係性がないどころか教育機関として密接にある以上、適用することができず、さらにもっといえば、新規な社会の価値観を子供たちに刷り込まなければならないという圧力が、私学といえども世間に迷惑をかけてしまったことによってついに生まれてしまったということだ。
以上の推論からも、自治が守り守られの相関関係であったことはいうまでもない。
また、自治が今一度復活することはありえず、我々の見たことのないあまりにも新しすぎてそれと認められないような新たなる自治が生まれるしかないのである。
自治よ、さようなら。
だが彼は、僕らの手で殺してしまったのだが。

45万の不明金について

これについては6月中旬くらいに後輩から聞いていたので、こっちはあまりびっくりしなかった。
陰で言うのもなんなんで、書くことにするけど、あの会計局長はどう考えてもニートだったけどニートは金なんて親の管理に任せてるんだから出納はできない、以上。
まぁいずれにしてもまともな金銭感覚を持った麻布生という言葉は用語上の矛盾だから、小学生にできることもできないのは当たり前だと思う。
ある意味でそういう世間知らずな部分を、まじめに学校生活することで身に着けていくのが麻布という学校でありながら、勉強ではなく社会勉強をすることが倒錯的で好きだったけど、どうやらそういうこともなくなってしまうようで、かといって勉強という点では塾や予備校に勝てないんだから麻布の価値はなくなった。
これだから、日本も貴族制にすればいいって言ってるのに。もしくは入学に血筋が必要なようにすればよかったのに。
大衆化は敵だ。これは今度詳しく書こうかな

選挙に関して

校長も指摘していたように僕らの投票責任はごくわずかなようだが、非常に大きいようなきがした。
個人的な言い訳になるけど、文実はしがらみがあって信頼してたし、運実は信任しないと運動会できないからという一心で投票した。
環境は人を変えなかったし、惰性で生まれたのは自治の死だった。
反省してはいるが、今後どのような考えで投票していいのかがわからない。
とりあえず今後の流れに身を任せることが自分の投票を肯定することにしかならないので、そうしておく。
思うところがないわけではないので、流れに石くらい投げ込みたいとは思うが、それができるかどうかはわからない。
受験捨てて論集に投稿しようかなぁ・・・

はあ

どうでもいいことを書いたかもしれない。
ただ、少しずるい視点から言えば、社会の趨勢と一致している以上彼らだけに責任があるだけでなく、自治の復活は一定時期にかけてはおき得ないだろうと予測される。
名残惜しいから、もう一度だけ言っておこうか。
自治よ、さようなら。
僕は、あなたを懐かしみながら、あなたに育ててもらったことを忘れずに、これからを生きていきます。