第45回本庄〜早稲田100キロハイク回想?

始まりは割愛。mixiで俺を探してください。

第45回百キロハイクの歩行役員の挑戦は11日の夜から始まった。
友好サークルと呼ばれる、数団体の1年生と、我々昂揚会の1年生が一緒に、高田馬場から本庄まで行くのだ。
我々は切符や出欠確認等を分担し素早く終わらせることができ、予定の時刻に予定通りの人数で出発した。
昂揚会新人は友好サークルの皆さんの中に散らばり、随所で連携の軸になりながら、順調に赤羽駅に着いた。
そして、本庄駅への最後の電車に、数グループに別れて乗った。
そこまでは正しかった。
5月特有のくじ運の悪さだった。
僕と同じ扉から一緒に乗り込んだ女子大生は、ギャルだった。
やはり、サークルが同じ人と喋っていた。
それならば特に許せる。
確かに僕らはそのように固まられた場合、よそ者であるから。
しかし、一人は完全に俺を怒らせた。
僕が、電車に乗らせようと、先にどうぞ、レディファーストですからみたいなことを言ったら、車内で男女差別は嫌いなのと言い返された。
僕は、便宜的な区別に過ぎず、少なくとも、生物学的には分けられているのだから、ということを言った後は濁した。
そこまでは、僕の諦めの範囲内だった。
正直なところ、過酷な二日間の前に、こういう話題でのヒートアップは正しくないかもしれないとも思ったし。
その次に僕が思ったことは単純だ。首尾一貫しろ。
なんと、男女平等論者の彼女は、空席に関する女性優先を愚痴りだしたのだ。
僕は急速に何かをフラッシュバックしながら、しかしさらには、床にへたりこむ彼女に絶句した。
もう世界は終わったとすら思った。
僕は会の規則で学ランを着ていたのだ。
それじゃなくとも会話に早稲田が頻出していた僕ら。
何故そうまでして学校の品位を落とせるのか。
僕は目眩と人生初の電車酔いをしながら、本庄駅に降り立った。
そのあとは記憶は少し曖昧だ。
僕はもうほぼ意識を絶ちながら、セミナーハウスという宿泊所へ向かった。
その後、夕食を取り、飲料等の運搬の手足となり、少し気分が回復してきたところで、昂揚会の百ハイ前日の儀式が始まった。
それは、50m先の先輩方への「学生注目」口上。
1000人以上の参加者の前で自己紹介を行う新人である旗手の演習である。
しかし、当たり前のように先輩は理不尽に厳しく、僕らはしごかれた。
だが、先輩方は優しくもあり、正しかったのだと今は思える。
壮絶な参加者の前での「学注」は以上に昂揚するのだ。
この儀式は、僕には体験のないことだったので、とても楽しく、同輩への援護心は高まることが出来た。(他の新人は合いの手を入れます。)
そんなこんなで1時就寝。
次の日からの、歩行を夢見ながらしばしの休息をえたのでした。
続きはまた