まさかの丁寧語

最近、気づいたことなんですが、基本的に僕は、ある人のことを、その人と僕との間で行われた交流に基づいて、定義しているわけです。
僕の中のあなたは純粋に僕に認識された要素からのみ成り立っていてほしいと望んでいるわけです。
僕の問いから見えてくるあなたの像が知りたいのであって、あなたの述べるあなたの像は僕にとって興味がわかないわけです。
しかしそれって利己的ですよね。
自己中心的な思考ではないかと思うわけです。
僕は一度関係性を放棄した後に、女々しくも関係性を求めているにすぎないではないかと思うのです。
僕はあなたが発信するすべてを受け入れ、そのすべてのために生き、それが完全にはできずとも、そのような努力をすべきだと思います。
赤の他人を、友人と同じくらい、そしてそれ以上に親密に感じえることが、成熟ならば、サンボマスターの「あなた」は全人類でしかないだろう。
僕はまだ未熟だ。
他者の自己紹介にすら耳を傾けられないのだから。
生きるとは、自己を拡散させることであるとすれば、僕の自己は、僕によって、拡大を妨げられている。
ならば僕は、僕を越えることで、僕を拡散させるしかないだろう。
僕の生は、僕の、僕に対する戦いだ。
わかる。まだ僕にはやるべきことが沢山ある。