どこまでが同質で、どこからが異質だろう。

カテゴリは他者を理解する、もしくは受け入れる時に助けになるだろう。
しかし、一方でカテゴリによる演繹は、いつの間にか未知の部分への過度の類推を行っている可能性がある。
女子高生とて、すべてが馬鹿であるとは限らないし、大学生とて、すべてが賢いわけではない。
世界がはらむ常なる例外に、僕らの認識は妨げられる一方で、やはり認識能力は向上してゆく。
より正しいカテゴリを。
より正しい認識を。
そして、あなたの本質を僕は知りたいだけなんだ。