相互行為としての恋愛

果たして(というかこのような問いを立てること自体、主観的過ぎるわけだが)、相互了解無しにそこに恋愛が発生していることを当事者が認識することは可能なのだろうか。
しかし、可能でないことを共有しあえる人はいるのだろうか。
最初に、僕が好きになる。
次に、僕が好きを伝える。
そして。
結局はその繰り返しなのかもしれない。
でも、その痛みを受け入れ切れていない切り株うさぎは、見えぬ悲しみに怯える。