眠さにかまけた惚れっぽさに気付きながら。

あまり不埒なこと書いちゃいけないなって意識がはてなダイアリにはあるから、忙しさにかまけて雑な文章を書くまいなんて思ってたら、こんなに間を開けてしまって、これはこれで申し訳なさが刺激されるわけでございます。
mixiで所謂マイミクの日記を見ることが、僕にとっての慰めになるのは何故なのかということはいまだ意識化されていなくて、ただそれは悲しみの増幅を予防する役目が少なからずあって、僕はその緩い依存に甘んじることで、僕の闇(もしくは病み)を一時的に忘れられるから安眠が出来てしまうというのは、当時から変わらぬ僕の存在様式ではないでしょうか。
契約は、偶然集まって来て契約が発生し、相手のことが知れてきたときに、破棄したり継続したりするようなものじゃなくて、契約以前の関係性と契約後の関係性が契約を成り立たせるのにも関わらず、契約の上位互換である恋愛において、同じ誤謬を犯してしまっていた罪は重い。
過保護だったからであろうが、すぐに手に入らないことが永遠に手に入らないこととほぼ同義という歪んだ認識が、僕を先走らせ、僕を踏み留めさせる。
答えはNOだったのは、僕が以上の2点を誤り、それ故にお互いがお互いをよく知らないうちの結論であってしまい、それがわかって僕の恋は冷めることができた。
その後の僕の目標は達成され、友達関係は続いたし、よい友達になることはこれからの僕の努力次第であろう。
でも、後腐れが残らないことは、その関わりが深くはなかったであろうことを物語らせるし、それは今の認識において深くしてはいけなかったであろうことを意識できている。
かといってこの現象は誰が悪いということにはならないし、寧ろ僕が修復可能な程度に少し悪かったぐらいだ。
だから僕は今も生きているし、満たされぬ渇きを認識しているし、色欲に惑わされているし、性欲を刺激されているし、今まで通り自分をごまかしているし、変わろうとしながら微小な行為を繰り返している。
劇的な変化に、耐えられる心よ。
悲しみの予感を、恐れない心よ。
僕に降り立つ日を、僕は期待しながら、それまでは僕を生きる。