自ら生きることをつらくさせる愚行。それを愚行と知っていたのではな

個人的には今のような状況が本当に怖い。
内心では、結構、あの頃の、猛り狂うように日記を書いていた自分のエネルギーを、やはり一方で懐かしく思っていて、自覚によってどんどんと冷めた目で自らを眺めることに成功してしまっている僕は、「したい」すら曖昧に、いや、下劣で直情的になってしまっているのである。
だから僕は今から、「伝わらなかった、伝えることができなかった思いについて現在僕が思うこと」を書こうと思っていたのだけど、ぜんぜん案が思いつかないのだ。

だから僕は、言葉で表しきれなくなった自分に気づいてしまうのがあまりにも怖すぎて、日々から遠ざかっているのかもしれない。僕の逃げ足は早くて、もはや現実がどこにあったのか忘れてしまった。嗚呼。
それもこれも上限が上がってしまったからだ。僕は温もりがあったこと“は”知っていたが、温もりがあること“も”知ってしまったのだ。だから僕は、カルアミルクなんかを聞くんだ。わかりもしない岡村靖幸の気持ちがわかったような気がしてしまうんだ。
でも、温もりをくれるのは……

僕は男性性の演出の仕方を知らないが、それをここまで悲しんだことはないし、そんなことが解決につながるかどうかを(解決にならないということを)知っている。
この悲しさは、代替できない。ごめん、僕のたおやかな友人たちよ。僕はあなた方に救われているというのになんて贅沢なんだろう!

思いを伝えられなかった人よ、ごめんなさい。
僕は、僕の思いを伝えられなかったのは、僕の責任だし、だから、もし何かを知っているとして僕を責めてください。僕はそれが言いたいのです。今まで何を渋っていたというのだろう?
初志を貫徹できないから、僕は堕ちるところまで堕ちる覚悟すらできていないのだ。意外と書けた。と、この量で思ってしまうのだ、過去の僕よ。ごめんなさい。